せめてあと5〜6年でも生きられたらインターネットで落合さんにアクセスも出来たものを…と叶わなかった息子の願いが悔しくて、悲しくてなりません。
 「お父さん、お母さん、私は一人息子なのに将来海外で生き、どこかの国に帰化することになるかも知れない。二人の面倒を見ることが出来ないかも知れないけれど許してくれますか?」高校を卒業する時言った彼の言葉に「私達の事は気にしないで。あなたの人生はあなた自身が歩むものだから」と答えた私達。
 「あなた方の子供としてこの家に生まれて良かった」この言葉を残して3年後彼は二度と帰らぬ人となりました。
 彼が大学に入学し広島の家を出て行った時、私は子供との訣別を心に誓いましたが、永遠の訣別となろうとは…

東京にて(亡くなる5ヶ月前)
向かって左から2人目が貴光君
 息子の人生が短くても充実したものだったとはいえど春を迎え花を見る事も無く逝った息子を想うと我が身を切るより辛いのが親の気持ちです。しかし、短い生命が彼の運命として逃れる事のできない道であった今となっては悲しいけれど、只々落合さんに感謝する日々なのです。生命がけで歩まれた落合さんの歴史が一人の若者をここまで奮起させ、育成し、死の寸前まで燃え続けさせて下さったのです。落合信彦さんという「先生」との出会いがなかったら濃い人生を駆け抜けた「濃い学生」も存在しなかったでしょう。本当にありがとうございました。

07/09

 


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