21年の短い生涯でした。子は親の世代より長く生きるものと信じて疑わなかった“平和呆け”の私共の前に突きつけられたこの事実に慟哭し茫然自失の時が流れました。あの日から7年4カ月の漂流期間を経てやっと落合さんへ御礼のお手紙を差し上げる気力が湧いて参りました。息子は加藤貴光と申し当時神戸大学法学部2年で21歳でした。中学1年から2年のころ彼には無気力な時期がありましたが、3年生になった頃学校の図書室で落合さんの著書と出会い世界情勢に感心を持つようになりました。高校に入学した頃、湾岸戦争が勃発し国連の存在に疑問を抱き社会科教師と放課後討論をするようになったそうです。この頃彼は私共両親の前で頭を下げ次の様に申しました「将来、世界平和への一翼を担いたい。海外で学び仕事をする為には日本の文化を知っておきたい。高校時代に出来る事として剣道をやってみたい。そして生徒会にも携わってみたい。お願いだから、一浪をさせて欲しい。私は神戸大学の法学部に行きたい。」「貴光の夢は一時的なものかも知れないが、ここまで考えたプロセスに意味がある。」と私達は承諾し彼にエールを送りました。サラリーマンの家庭で経済的にも負担はかかると思いましたが落合さんの著書「アメリカよ、アメリカよ」を読み、親に負担をかけないで海外留学ができるよう頑張る気力が湧いてきたと熱く語る息子の姿に私共も生きる力を与えられたものでした。
 高校3年間は多忙ではありましたが、他の誰よりも充実した時を送りました。校則の一部改正を成し遂げた事は今でも学校の語り種になっていると当時の先生方が教えてくださいました。そして予定通り(?)一浪して神戸大学に入学致しましたが、1ヶ月後の5月頃、彼は大学に失望しかけておりました。「頑張って入学したものの話ができる人間がいない」受話器の向こうで聴こえる息子の声は色褪せていました。高校時代、建設的に思考する力を得た彼のことだからきっとこのスランプを糧にするだろうと私は思っておりました。予測は的中しました。1週間ほど経った頃、電話がありました。「落合さんが大阪で講演されるンだ! 朝日新聞の広告で知り応募したら当選してチケットが手に入った!」瞳の輝きが受話器を通して見えるようでした。
 当日、講演終了後、会場近くの公衆電話から興奮覚め遣らぬ声で広島の私のもとに電話して参りました。『20代は冬の時期だ。そこで土壌を肥やさないと春に花は咲かない。哲学的な本を読め、疑問を持て』等々話された。私には最近それが見えなくなっていた。この地球上で自分のポジションは何かを考えていく機会とヒントを与えて貰った。霧が晴れたよ!」「落合さんと一言でいいから会話がしたかったから係員に頼んだが制止された。一言お礼も言いたかったが仕方ないよ。でもいつかきっと自分のレポートを読んで貰えるように勉強するよ。出版社に頼めば届くかも知れない。念ずれば叶う…絶対叶える!」


06/09

 


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