歴史に対する謙虚さ、豊かな国際感覚、知的好奇心などが溢れている。英語もかなりのハイ レヴェル(大学1年のとき英語のスピーチ コンテストで西日本大会で優勝)で夢は国連で働くこと。おれがこの「勝ち組クラブ」で育てていきたいと考えている人材だ。将来が大いに期待“できた”若者に間違いない。
 “できた”と過去形を使わねばならないのは貴光君はすでにこの世を去っていたからだ。今から7年前の阪神大震災で犠牲者となったのだ。21歳の若さだった。
 人望が高かった貴光君は多くの友人を残した。その中の何人かは彼の遺志を継いで国連で働くために努力しているという。
 貴光君は亡くなる1年前ある手紙を母の律子さんに渡している。神戸大学に入学したときのこと、新大阪駅で別れるとき彼女のポケットに忍ばせたものだという。

 

『親愛なる母上様

 あなたが私に生命を与えてくださってから、早いものでもう20年になります。これまでにほんのひとときとして、あなたの優しく、温かく、大きく、そして強い愛を感じなかったことはありませんでした。
 私はあなたから多くの羽根をいただいてきました。人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること…。この20年で、私の翼には立派な羽根がそろってゆきました。
 そして今、私はこの翼で大空へ翔び立とうとしています。誰よりも高く、強く、自在に飛べるこの翼で。
 これからの私は、行き先も明確でなく、とても苦しい“旅”をすることになるでしょう。疲れて休むこともあり、間違った方向へ行くことも多々あることと思います。しかし、私は精一杯やってみるつもりです。あなたの、そしてみんなの希望と期待を無にしないためにも、力の続く限り翔び続けます。
 こんな私ですが、これからもしっかり見守っていてください。住む所は遠く離れていても、心は互いのもとにあるのです。決してあなたはひとりではないのですから…。
 それでは、くれぐれもおからだに気をつけて、また逢える日を心待ちにしております。最後に、あなたを母にしてくださった神様に感謝の意をこめて。

翼のはえた“うし”より。』
貴光君からお母様へ宛てた手紙(本人筆)>>


04/09

 


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