前者では、大和政権期の朝鮮南部での状況についての認識が挙げられる。当時の朝鮮は、高句麗、百済、新羅のいわゆる“三国時代”に当たる。その中で、百済・新羅に挟まれた土地に加羅(任那)と呼ばれた地城が存在したといわれている。現在のもっとも有力な学説では、ここを拠点として日本が勢力の拡大を狙ったとされている。しかし、それを確証するに足る遺跡や出土品はまだ発見されていない。(今年に入り、韓国南部で日本でも良く見られる前方後円墳が発見されたが、詳細はまだ明らかになっていない)にも関わらず、日本の教科書はあたかもそれが事実で、異論が全く無いかのごとく書いているのである。 実際、加羅は日本と単純な同盟関係にあったにすぎないとする説を出す学者もいて、今も論議を呼んでいるというのに、そのことに言及したものは少ない。
 後者では、南京大虐殺や三光作戦(焼き尽くす、奪い尽くす、殺し尽くすという、日本軍の中国侵略時の標語)などが欄外に申し訳程度に書いてあるのに対し、原爆投下や大空襲などは大きく扱っていることが挙げられる。日本の過去に対する深い反省というよりは、アジア向けのリップサービスとしか映らないだろう。また“侵略”とは書いても、具体的にはほとんど触れられていない。

神戸にて(亡くなる5ヶ月前)
大阪支部、京都支部、神戸支部のサークル仲間と。
向かって右から2人目が貴光君
 これに対して、先に登場した韓国メンバーの知識には目を見張るものがあった。彼はあらゆることについて、いろいろな説を取りあげながら私に話してくれた。朝鮮人のルーツや、日本との関わりの歴史(もちろん日帝時代のことも)などなど、延々2時間ばかり熱中して話してくれたのだ。私はその知識の豊富さに感心し、どこでそんなことを学んだのか尋ねてみた。彼曰く、「学校だ」と。中学ごろから、それらのことをいろいろな説を交えて学んだそうである。ちなみに言っておくが、彼の専門は医学である。彼のみならず、他のメンバーも、みんながみんなそうだとは言えないが、少なくとも日本の一般学生よりは幅広い歴史教育が施されていたようだった。ただし、日帝時代と戦後の南北分裂後のことだけはお世辞にも“幅広い”とは言えなかったが…

02/09

 


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