「ある若者の死」

 先日、大阪のOCC(大阪市民大学)で講演を行った際、素晴らしい出会いを経験した。相手の名は広島県の加藤律子さんと貴光君という母子。
 講演の直前関係者の手を通して律子さんから封筒がおれのもとに届けられた。中には貴光君が書いたレポートと手紙、さらに律子さんからおれ当ての手紙が入っていた。
 レポートは貴光君が神戸大学2年のときに書いたものだ。
 それをまずここに載せたい。

 

 

消されるもの、消せないもの
〜韓国、日本の歴史観について〜

加藤 貴光 (神2)

 「日本人を信じてもいいのか?」自由時間に歴史について語りあっていた韓国メンバーにこう尋ねられて、私は一瞬返す言葉に窮した。「もちろん」と言うには、無責任、無神経な発言を繰り返す政治家の顔がそれを拒み、「残念ながら」というには、熱心に国際交流やボランティアに励む人たちをけなすようでやはり苦しい。が、正直なところ、YesとNoの比は3:7くらいだった。
 その原因は、貧相な日本の歴史教育にあった。私はバイトが塾講師という役得(?)から、最近の歴史科の教科書を生でみる機会に恵まれている。原始社会から古代国家の成立、貴族社会、封建国家の盛衰、近代国家の成立とその産物の2つの大戦を経て、現代社会の仕組みの解説に至る。多少の差異こそあれ、どの教科書も流れはこのようなものだ。が、私がそれらを一読してもっとも強烈に感じることは、なんといっても諸説の紹介がほとんど見られないことと、戦中の表記が、日本の被害者的な面を誇張し過ぎていることである。


01/09

 


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