June
19, 2002
ある若者の死
大阪の大阪市民大学で講演を行った際、一通の手紙が届いた。広島県の加藤律子さんからのものであった。律子さんには貴光君という息子がいた。貴光君はおれの読者であったことを律子さんは伝えてくれた。その彼が阪神大震災で犠牲者となる丁度一年前に、母律子さんに駅のホームで別れ際にポケットに忍ばせた手紙を紹介しよう。
親愛なる母上様
あなたが私に生命をあたえてくださってから、早いものでもう20年になります。これまでに、ほんのひとときとして、あなたの優しく、暖かく、大きく、そして強い愛を感じなかったことはありませんでした。
私はあなたから多くの羽根をいただいてきました。人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること……。この20年で、私の翼には立派な羽根がそろってゆきました。
そして今、私は、この翼で大空へ翔び立とうとしています。誰よりも高く、強く、自在に飛べるこの翼で。
これからの私は、行き先も明確でなく、とても苦しい“旅”をすることになるでしょう。疲れて休むこともあり、間違った方向へ行くことも多々あることと思います。しかし、私は精一杯やってみるつもりです。あなたの、そしてみんなの希望と期待を無にしないためにも、力の続く限り翔び続けます。
こんな私ですが、これからもしっかり見守ってください。住む所は遠く離れていても、心は互いのもとにあるのです。決してあなたはひとりではないのですから……。
それでは、くれぐれもおからだに気をつけて、また逢える日を心待ちにしております。最後に、あなたを母にしてくださった神様に感謝の意をこめて。
翼のはえた“うし”より
貴光君のレポート、母律子さんからおれへの手紙、そしておれのコメントなど
以下「勝ち組クラブ」にて